愚かなり、広い世界をわざわざ狭く生きていたでござる

先日、MAMERINGO名義のツイッターを全て消した。
少し前からツイッターでの活動休止うんぬんみたいなことを言っていたのだが、もう思い切って全部消した。
俺はもう大分ツイッター中毒で、一日一回は必ずツイートをする、みたいなかなりジャンキーな習慣を生活に取り入れていたのだが、それを危惧したのもあるし、実生活の変化等でいろいろあり、一旦離れてみよう、という決断を取った。

それからの快適さに驚いたのは言うまでもない。
これはSNSをやめた人々の手記に必ずと言っていいほど登場する文言だから、またこれかよ…とこれを読んでくれている方は思うかもしれない。しかしこれ、マジ、本気ね。

ツイートの内容を考えてしまうとか、いいね数がとか、そういったことも微量ながらあるものの、それとは比にならない違いがあった。それは、人の不の感情に触れなくなったということ。

どんなにタイムラインを整理しようが、フォローする人を選ぼうが、トレンドという誰が見たいのかわからないヘンな機能がある。そこでは、ネットの人々が今日は何に対して怒っているのかを教えてくれる。
ツイッターの嫌な点はそこに集中していると思う。大体毎日誰かしらが、愚痴だったり、なんかしらの被害者意識をつっついて、怒りを煽ったりしている。これは文字単体、しかも短文で投稿できてしまうことの弊害だろう。こういうこというともうシステムから批判することになってしまうが、一般の人間がこの昨日に触れるとどうしてもお気楽愚痴吐きシステムと化してしまう。

元々俺はインスタでイラストを上げていたのだが、あそこは意識高い系とか、胡散臭いビジネスとかをやってるヤツもいるけれど、第一に目に入ってくるのは綺麗な写真とか。もちろん、サムネにそういったツイッターの便所のようなツイートのような文言を入れてくる愚か者もいるが、そういった投稿を見なければおすすめに出てくることはない。そもそも、写真主体で投稿するため、なんかしらその写真に関連したことを言わざるを得なくなる。開いて最初に目に入るのがマイナスな言葉ではない、というのはかなりデカい。

しかし、現在はスレッズというモノがある。あれも言えばインスタの会社がやっているツイッターのようなもので、層は違えど、様々な愚痴や、やけに虚勢を張ったような文が多々載っている。なのでもう、短文かつ文章のみで投稿できるというシステムがかなり人間の不の部分を引き出してしまうのだと思う。

もちろん、メリットもないワケではない。たとえば、企業なんかが営業開始を知らせたり、細かな追加情報を載せたりするのがそのシステムだとかなり容易である。だから告知の場としてはかなり便利なのである。俺自身も企業ではないが、参加イベントの告知や、新商品(グッズ)のお知らせなどの紹介に大いに活用している。

でもやはり、個人があのシステムを扱うべきではないと感じた。脳直でその時思ったことを口に出せてしまうため、急に嫌なことを投稿したりできちゃう。ブログのように、一度推敲するみたいな時間もとられない。

俺はこの不の側面にやられてしまった。前回述べたように、精神疾患を思春期頃から今に至るまで長い間患っていたのだが、それの悪化はまちがいなくツイッターにどっぷりとハマっていたことであった。些細な行動に関する陰口などが散乱しているので、取捨選択の区別がつかない子供だった俺はそれらをすべて貰っていた。今でも貰わないワケではないが、それでも、ああこれは○○だからこういうことを言っているのか、じゃあ気にしないでいいや、とできるようになっている。

コミュニティというのはどうしても狭い世界になりがちで、そこで権力を握っているものがダサいと言ったことはダサいということになる。でも、それはそのコミュニティの中の話で、外に出てみれば、そのダサいモノに魅力を見出す人も沢山いる。そのコミュニティで受け入れられなかったような行動が意外となんでもないことだったりする。勿論逆に、こういった行動をコミュニティ外の人にとってしまうと失礼にあたるのだとか、そういうこともある。

しかしそれは、間違いなくそのコミュニティにどっぷりハマっている間は気づけない。ある種の内輪ノリというか、そういうモノが世界のすべてだと思ってしまうからだ。俺はそれをいちいち気にして、自分の行動範囲をかなり狭めていたと思う。例えば、こういうことがやりたいけど、でもそれはコミュニティ内でダサいとされていることだから、やめておこう、といったような。逆に、そのコミュニティの内輪ノリ、ダサいと思われているものを小ばかにする気持ちを、友人にも押し付けてしまっていただろう。

いかにそれがちっぽけであったか、ツイッターというシステムを日常的に使わなくなって気づかされた。いや、でもコミュニティという枠組みを批判したいわけではない。俺が接し方を間違えていただけだ。ああいったものは、自身の興味を広げるために一時的に足を踏み入れるべきものであり、そこでドロドロに溶けて、コミュニティ内でダサいとされているモノに対して愚痴を只々言うなんて使い方はしてはいけない。

ツイッターをやめて、コミュニティへの依存から足を洗ってから、全く病むことがなくなった。そりゃ人間なので、嫌なことであったり、体調不良であったりから起因して落ち込むことはあれど、前のような、楽しさメーターがどん底に落ちるような、あの感覚をほとんど感じなくなった。まあこれは、俺の疾患がかなり寛解したというのもあるかもしれないけど。

それに、グッズの制作をするようになってから、ネット以外にも楽しいコト、心の置き場ができたというのもデカい。これは対人関係ではなく、自分の心の中での、気持ちの切り替え先ができた、という感じ。

かなり書いた気がするが、まとめると、ツイッターやめたらメッチャ元気ンなって嬉しいという話でした。
その日の気分で文体が変わるので、毎回お前なんやねんそのノリって感じでごめんネ